北埼出張所に事務所をかまえていた、埼玉会の会計処理の基礎を築いた富田先生のお言葉です。
 
−謙虚でジツにいいおじさんだったネ
 
○富田 どうも生活が容易じゃない。ところが、そのころは司法代書人は辞めた人がないと、認可が取れないと、始まらないわけ。
○司会 なるほど、いまの公証人と同じだね、確かね。
○富田 それで、スズキシノブさんといいう人が辞めたんで、カブというか、家賃がたくさんのところを家を借りる権利でしょう。その
権利を譲り受ければやれるというんで、僕は役場生活もなかなか給料はいくらももらえないし、なんとか新天地を開拓しなくちゃという
時代に出かかっているんだと思うんです。それで加須に出てきたんですが、いまの場所は5カ所ぐらいですか、借家で転々として、よう
やくいまのところに・・いまあなた方が入ったあれが古い家ですが、ほかにあったのをどうにか買って、ようやくいまのところが登記所
がすぐ前に移ったので、すぐ反対側に事務所を移転したいからと地主さんに頼んだところ地主さんが承諾してくれて、いまの加須の連合
婦人会長をやっているスズキさんと人のおじいさんの時代にそこの土地を貸してもらって、そしていまのところで落ち着いて司法書士の
業務をやるようになって、昭和45年までです。
 
だから、登記所が移ったのが大正何年かで、…………もっともこういう古いことを調べるのは自分でも難しいんです。
○司会 資料でもあれば、一時ちょっと貸していただければありがたいと思うんです。
○富田 資料は会のほうへ大分出したんです。だから、手元にはないんです。昭和28年何月でしたか、これも資料が出ていますが、裁判
所管内の司法代書人会というのでやっている時代に、久喜、幸手、加須と順回りで司法代書人の会合をやったんです。その支部の会合が
加須が当番で行われて、会長はノキンといっていまのもサイモトヤという中央2丁目の私のうちの真っ直ぐ北のほうですが、 125号線の
北側なんですが、そこで総会をやった。それが昭和28年だと思っているんですが、それは会のほうに資料が行っているわけですから、私
も…………やってもらったんだから、手伝いに来い。役場の書記をやっていたんだけれども、私が手伝いに行って、駆け走りにお茶入れ
に行ってくれとか、そのころは……のほうにないから、御座敷から私が連絡をとったりして、笑われたようなことなんだから、親父が次
郎、次郎と言って、…………本当の子でも呼び捨てにするのはみっともないから。それでよくノウチに私が会のほうへ行ったときに、君
の親父がお前のことを次郎、次郎と呼んだっけなということもありました。
 
その28年だと思っていますが、そのときに私が手伝いに出たのを覚えているんです。28年の会議のときの招集状……が保存してありまし
たので、会のほうに多分行って保管してあると思います。あとで聞いてみてください。うちの親父さんも順回りの支会といった、司法代書
人会の久喜支会長をやっていたときに、28年に会合をやったと思うんです。だから、ずいぶん古い。
○司会 そのころはイノウエ先生のお父さんもいたんですね。
○富田 ええ、イノウエ先生のお父さんがいました。それから、こっちの管轄と違うけれども、上尾のキッカワ君のおじいさん。
○司会 この前亡くなったお父さんかな。
○富田 いやいや、その上。3代目です。
○司会 キッカワさんのところに行ってみましたか。
○司会 一時上尾にいたから、上尾に籍を置いたから。あの先生は、昔アンショウ代書人、フ裁判所が大体管轄ということで、登記手当て
が昔ありましたね。大体そのときは即日書類が仕上がって、そのあいだお茶を飲んでもらったり、そばをとってもらったりしていて、やっ
ぱり先生のところも……
○富田 お茶代をそのころだか、10銭ぐらいだった。
○司会 お茶代とか、あとお昼をとったとかと本に書いてあるんです。
○富田 お客さんがお昼をとって。
○司会 ……じゃなくて、裁判所だね。
○司会 また当時ですから。
○富田 裁判所の出張所ということで、登記所…………いまでいうと、……浦和地方法務局は何々出張所、前には浦和裁判所加須出張所。
○司会 加須。
○富田 浦和裁判所の加須出張所は私の前にあった。いまは駐車場になったけれども。
○司会 あれは加須のク裁判所だったわけ。
○富田 浦和区裁判所、幸手出張所、久喜出張所、加須出張所という。
○司会 呼び名が違うんだ、浦和ク裁判所、加須出張所か。
○富田 それから、幸手出張所、久喜出張所。古くは幸手には区裁判所があって、浦和区裁判所になる前は幸手区裁判所の加須出張所みた

いですよ。幸手はまったく…………幸手はここらへんでは大したものなんですよ。
○司会 大体昔は御成街道だったから、江戸時代から明治にかけて。
○富田 加須なんかと違って、久喜とも違って、幸手のほうがずっと栄えていたわけ。
○司会 明治天皇も行幸なさって、江戸時代の御成街道があって、宿場でもある。
○富田 だから、加須、久喜よりも幸手のほうが歴史的には大したものなんですよ。そういうことです。
○司会 加須がそれの出張所だったわけですね。
○司会 ヒショウ事件として考えていた。
○司会 裁判の中の1形態的考えだったから。
○司会 ヒショウ事件なんてありましたね。
○富田 …………非訟事件っていうけれども、昔は登記のほうを非訟事件として扱った。もっとも裁判所だと裁判が……から。…………
事件でしょうね。もっとも裁判所だと、裁判…………ますからね。ヒショウ事件、…………でしょうね。
○司会 …………それを考えていたんです。だから、司法代書人は代書人の中でも一段上だったんです。
○富田 いまでも行政書士よりも上に……。
○司会 行政書士はやり方がうまいことやって。
○司会 当時、2枚看板が必要かどうかもめたこともあるんです。それを代書人の……に一般代書人の動向も歴史の本には書いてあるんです。
だから、2枚看板の問題があるね。だから、昔はおそらく先生の親父さんも2枚看板を持っていたんじゃないかと思うんですけどね。
○富田 かも知れませんね。その点はよく聞いておりませんけれども。
○司会 そういう時代もあったようです。当時、中に構内とか、……になってお茶出ししたり。
○富田 うちのほうなんか、登記所の前に住んでいた人がいて、そこのおばちゃんがだんなもいたんだけれども、だんなは勤めに出ていて、
おかみさんがお茶番をして、5銭とか10銭とかもらったのが手間になったわけね。そういう時代があった。それから、東京あたりでは裁判
所の登記所の構内に司法書士をおいてくれて、いまはそういうのはもう意味ないですけれども、前にはその場所がないというか、構内にい
たほうが便利だということもあったんでしょう。置かせてくれたわけです。そういう歴史があるわけです。
○司会 …………取り込んだほうが。…………として位置づけたほうが。昔の裁判所でいえば、それを提出するための役所の下請けみたい
な…………ほうが。だから、当時は即日ですね。即日書類を書いて。
○富田 待っているうちにできたんだから。だから、記入をあとにしても、書類がいいとなるともう登記……
○司会 昔はそれはどういうことかというと、あまり登記する人が少なかったということかも知れない。
○富田 結構あったんですが、いまほど多くはないです。
○司会 地主さんとかそういう人でしょう。
○富田 でも、受付番号を見ると、昔の受付番号がありますが、…………いっていますよ。でもいまほどのあれはない。
○司会 それはどういうことかというと、昔は人間的でしたね。登録台帳に不動産関係を登記する人もいれば、登記しないで役所の登録台
帳に載せてあるだけで安心して……。
○富田 それが台帳じゃなく、地券といって、明治のはじめ地券というのを渡して、それでその地券を持っている何よりの証拠で、その裏
書きをして所有権の移転が認められたわけです。私のところにも私が写しをとっておいたのがあります。地券証券がどいうのか見たいと思
っていたら、ちょうど私のうちに地券がありますから、見てください。持ってきます。それをコピーしておいたのがあります。
○司会 昔は上過ぎるとか、下過ぎるとか、書き方も言われたんだとか、羽織はかまを来てそういうところに行ったという。
○富田 うちの親父さんもつい最近まで、必ず登記所にも家にいるのにも、羽織はかまですよ。お正月は羽織はかまで第1番に登記所の
ほうに、1月1日にちゃんと正装して、お年賀を持ってごあいさつに行きました。そのかわり、お正月だからというんでごちそうして
くれたわけです。
それでごちそうになって、いい気持ちになって帰ってくるような具合で、そういう点はいまの法務局の出張所より親密さが・・。だから
、若干……。だから、法律で許されないようなことはないんで、すれすれのところまでは融通がきいた場合もないと………
…そこにまたいいところもある。
○司会 それは裁判所時代ですか。私にはどうか分かりませんけれども、私は前に裁判所へよく行ったんですが、法務局より裁判所の
ほうが親しみがあるね。中に入りなさい、どうぞなんて言って、そこでいろいろ話してやることがあるんですけど、法務局はどうも
だめだね。
○富田 久喜の裁判所は、最近はちょっと変わったようだけれども、なかなかヤマダさんなんていう人がいて、親切にしてくれて、もっ
とも顔を知っている…………が、いま殺風景になったけれども。法務局の親しみのあるような感じがするけどね。登記所も………
…役人風を吹かせる。

とても………
○司会 全然違うね。裁判所のタイプと法務局の空気が。
○司会 それはやっぱり向こうは…………形式…………やっぱり違うんでしょう。ちょっと間違うと訂正してくるんだね。裁判所はここ
は明らかな間違いなら直してくれちゃうもの。…………間違っていたら
○富田 …………出した場合、書き違ったのがあったのがありましたよ。だから、なお強くなったなんて。だから、法務局だって明らか
な間違いは

ちょこっと直したって。そういうのがある。でも、時代によっては 
○司会 形式にうるさいんだよね。
○富田 でも、時代によっては…………という登記官もいたんですよ。
○司会 いまでもいるんだよ。そういう話、……登記官……今度からいろんな問題が起きるからあれなんだけれども、それは登記官に
よっては融通がきく……。
○富田 あまりしゃくし定規みたいになって……。それも登記官の頭にもあるね。
○司会 いま話を聞くのは、登記所のほうで派閥が三つあるというんだね。それは大体性格的にいうと、非常に几帳面でまじめで公正
だ。

やっぱり類は類を呼ぶで、そういう人はそういう上司と付き合っているんだね。ぼくがほかから聞いた話ですよ。真面目にやっている
人公正である。ところが、そうじゃなくて、司法書士と密着しちゃう…………。そうすると、それはさーっとやっちゃうわけです。
要する、これを持って来ないほうは、これやってやかましく…………あるんだよ。そういうところへ登記官はみんな……。
○富田 うちのほうはずーっとそういう関係はないけれども、登記なんかも融通のきく所長にずいぶんうまくやってもらったことがあり
ますよ。
○司会 けじめだけははっきりしていれば。…………間違えた。…………やっちゃまずいけれども、…………でなきゃ。ときたま思う
ことあるよね。登記官によっては間違っても登記事務所でできていて、ホウセイして、はい、権利証あげますという方と、……
……それも明らかに、ちょこっと、本当の微々たるもんだよ。そういうものが登記事務所……いいようなものでも、ストップか
けて。
○富田 うちのほうじゃ、…………ありますからって。
○司会 実際はそれが本当なんだと思うけれども、行政機関なんてみんな結構そうやっている。
○司会 …………でも……さんが………………
○富田 違法性がないっていいことだから、便利……やってくれていいんだよ。…………行くかというぐらい。あれは何ていう局長だ
ったか、非常にさばけた人で、旅行なんかに一緒に行って、いま公証人になっているけれども、マエダさんよりずーっとあとの人。
われわれが旅行に行くのに、はじめから一緒に行ったんだけれども、汽車の中で一緒になったということにしてくれ。
○司会 旅行先で偶然会ったということにしてくれ。話だけは筋が通っていれば。そんなことしなくたって、お互いに仕事の面でやって
いるんだから。それは先生のお父さんの時代にもそういうのはあったわけですか。裁判所時代はないでしょう。
○富田 …………くださいなんていうと、急ぎなんだそうだからというとやってくれましたね。また…………やってくれた。
○司会 昔からともかく即日書類が原則ですから、だからみんな待っていたんだというから、そういうところでだらだら昼飯を食べなが
ら…………話
○司会 私どもも旅行に行ったことがあったかな。昔、登記官と一緒に行ったことがあったかな。
○司会 やったよ。合同よ。
○司会 あるんでしょう。久喜は全然やらないもの。…………先生が…………そういう機会が好ましくないって。
○富田 法務研究会という名前で、登記所の職員と調査士、司法書士と一緒で、法務研究会の主催で懇親会ということで一杯飲もう、
だから今度の23日にやるんです。暑気払いで、うなぎを食うことになっているんです。
○司会 たまにはいいんだよね。
○司会 久喜もやらないでしょう。で、久喜は調査士さんがやっているんだね。だから、司法書士のほうはあまりやらない、そういう
ところに出ないらしい。
○富田 調査士はイノウさんという人が支部長で、あの人はなんかよかった。イシジマ君が何かちょっと…………親父さんはなかなか
できた人で。

イシジマの親父は大した人ですよ。イシジマはもう80歳かな。
○司会 昔の話になると、加須で結構おもしろい人もいたね。亡くなった方もいたね。なかなか愉快な人もいたね。セキグチさんか。
○富田 あれはぼくと二人で漫才みたいなんだよ。相手がいなくなったら困るけれども。やっと私ととても気が合って、彼が丙午の明治
39年で、私より五つ上だったな。あれは愉快な人間だったね。歌が上手で踊りが上手で。ワタナベさんはセキグチ…知らない? 
○司会 楽しい人だったね。49年に…………ましたか。48年は上尾にいましたから、47年時点…………試験取り立てだったものです
から、上尾の…

○司会 お住まいはどちらですか。
○司会 幸手です。しかし、あの人も偉いよね。
○富田 私が調査士になったのは、調査士規則の第2項に測量とか申告関係を実際にやっていた者は調査士とみなすというので、25年の
11月1日から2年間認められたんです。それで、昭和36年6月に試験があって、その試験に合格しない人は…………。私は第1回の
26年の試験で幸いに合格して、26年6月30日付で調査士の資格確認書を…………によって・・あれは準国家試験だったね。国家試験
よりやさしかったかというと、ずいぶん難しい問題が出ましたよ。

  それから、29年の認可をもらうとき、飲むと、……局長は加須市のミツマタの出身ですが、その人のときに、認可試験を受けたんだ。
面接になった。局長みずから面接だよ。「富田君、君は不動産関係は大分できていなかったね。どういうわけか、君、不思議なんだが、

商業法人登記のほうはよくできたな」ってほめられた。おかしなもので、ほめられたものだから。とにかく認可はしてやる。一生懸命

勉強せんとだめだぞ。はっぱをかけられたです。

どういうわけだか、会社関係の答案が横に使ってほめられたけれども、不動産のほうはだめだった、これから勉強せんとだめだぞと言わ
れました。どうやったか、自分でもわけがわからないですけれども。
○司会 先生は司法書士業務を始めたのは何年ごろです。
○富田 本式に始めたのが、昭和36年の7月1日でしょう。そこまでは市役所の職員として勤めていて、アルバイト式に調査士、司法
書士の仕事を土曜、日曜にやっていたようなわけで。
○司会 もちろんお父さんからいろんな勉強も教わったわけでしょう。
○富田 門前の小僧で見ていて、大体分かったんです。試験を受けるのに勉強もしました。役場時代に訟務関係、相続放棄とか、親権人
者の……とかをずいぶんやったんです。……
○司会 ……先生のところも大体同じような試験科目ですか。民法、憲法とか。
○司会 憲法はないです。それを入れろ、入れろというのが主張です。
○富田 民法、商法、民事訴訟法、刑事訴訟法。
○司会 私たちの場合は、民法、商法、刑法、二次試験が不動産と商業登記法、民事訴訟法、その他…………5科目、全部で8科目。
それが受かった人は今度口述試験。
○司会 やっぱり面接試験はあったんですか。
○富田 ありましたよ。
○司会 われわれのときは、口述試験のときは、浦和の法務局に行きましたね。
○富田 私は埼大でしたよ。
○司会 昔は埼玉大学じゃなくて、浦和高校ですから。浦和高校が埼玉大学になった。埼玉……なんてあった。埼玉府立…………春日部
旧高校だから、…………
○富田 それから、武蔵野……という教員のあれがありますね。あそこでやったことがありました。
○司会 先生の時代はやっぱり論文試験ですか。いまみたいに…………試験ですか。
○富田 内容は、科目は分かれていたかも知れないけれども、筆記試験で論文形式です。マル・バツじゃなかったですね。だから、難し
かったね。でも、ある程度夜なべで、1週間ぐらい勉強した。
○司会 何か変わった楽しい話とか、ひどかった話、つらい話とか、当時を振り返ってみて、どうでしょうか、何かありますか。
○富田 ヒラノ会長が会長になるときに、どういうわけでヒラノさんが会長になったかというのは…………です。ちょっと申し上げます。

これは年号は西部支部のイトウショウ君に聞いた。昭和37年の7月23日、イトウショウさん、ショウといっても、いまの人は
昭和の昭です。ところが、大正の正を書いた人は明治3738年までかな。この人が司法書士会長と調査士会長が任期満了で、
開店をするんで、

北浦和に法務局があったんです。そのときに、北浦和の法務局へ集まって、相談会をやったんです。法務局か法務局の前の2階
かなんかに事務所があったんかな。
     そこで会議をやって、それで一杯飲んで、北浦和の駅前で道を横切ったときに、バイクにつっかけられて、それでイトウアキラ
君のお父さんのショウさんがけがをしてそれで亡くなったんです。その日取りを忘れたから、いまの西部支部のイトウ君に聞い
たら、昭和37年7月23日に事故に遭って即死状態だった。私はイトウさんがそうした事故で亡くなったことを知っているから
、イトウ君に電話で日にちだけ聞いたんです。それで本会のことですが、イトウさんが亡くなったから、だれか会長をやらなく
ちゃしようがない。それで、相談会をやったわけです。
      そのとき私は出る資格がなかったんだけれども、浦和地方裁判所、浦和……裁判所の・・本会のほうは地方裁判所の……
…管轄だったかも知れませんね。本会のほうは地方裁判所で、われわれ司法書士は……裁判所の管轄だったから、会長が死んだ
から後任を選ばなくちゃならないんで、司法書士を全部集めて相談会が浦和でありまして、私は親父の代理でそのときはまだ
何の資格も持っていないんだね。

親父が目が悪くて電車に乗るのが嫌いで、おれに代理で行って話だけ聞いて来いと言うんだ。

      そのときにだれにしようかというんで、なかなか…………ね。結局、ヒラノさんが綱紀委員長をやっていたらしかった。ヒラノ
君、君がやれよというんで、シラカワさんの…………ヒラノさんより前に会長をやった人だね。ヒルマさんです。ヒラノさんの
前でイトウショウさんの前、イトウショウさんが死んで、ヒラノさんがさせられたわけです。ヒラノさんが…………
○司会 あとから選挙というか、話し合いというか、浅子さんとか、川口の佐々木さん、…………                       
○富田 浅子議長が平野さんと闘って何としてもかなわないで、平野さんが出るっていって、選挙は届をしたんだけれども、結局ヒラ

ノさんが引っ込んだのかな。アサコさんがなったと思いました。
○司会 あの選挙だったか。
○富田 浅子君の早死にだったね。
○司会 浅子さんがなったのは選挙だ。
○富田 私と年は同じ、40年生まれ。
○司会 この前ちょっと大宮で会ったけれども、よぼよぼになっちゃったね。病気をした関係があるかも知らんけど、全然見る影なしだ
もの。よぼよぼのお年寄りになっちゃったね。
○富田 大宮は法務センターができて、みんな一緒に入っているんでしょう。
○司会 わきのほうの事務所だね。
○富田 このあいだ大宮に行ったら、登記所でヒラノ君と会いましたよ。
○司会 富田先生のほうがずっと元気だ。びっくりしたでしょう、平野さんと会って。口もあまりきけなくなってきちゃった。
○富田 口がちょっと重たい。あれは高血圧で。………だったんだよね。それで会長を辞めたんだから。一時ずいぶん重かったんですよ。

よくなって、仕事ができるからね。
○司会 登記所の雰囲気としては、どうですか。いまはよくなっているほうですね。というのは、女性の事務官が入ってきて、…………昔

はずいぶん乱暴な口を登記官もいたから、若いので。本当にひどいのがいたよ。
○富田 こっちのほうは女の職員が2人かな。
○司会 いまどこでも大抵登記所の事務官というと、男女平等だけれども。
○富田 いまうちのほうは非常にうまくいっていますよ。
○司会 みんな穏やかになってきましたよ。昔は乱暴な口をきいた。
○富田 乱暴な口をきくばかりでなく、帽子をかぶって登記所の受付のところに行った人がいたんです。あれ…………「君、家の中で帽
子かぶってていけない」というんで怒ったんだ。その人が帽子をとった。禿頭、若くてはげ頭なんだ。それで、所長が気の毒に
なっちゃって、「すみません、かぶっていていいですよ」。……………

…佐藤先生ぐらいの年配になればいいか悪いか知らないけれども、もっと若い人が禿頭でみっともないからというんで、さっき言
ったように帽子をかぶって、役所行くときは帽子かぶって中に入っていけないなんて、とった途端にツルツルでしょう。そうし
たら、「ああ、どうもすみませんでした。かぶっていていいですよ」と所長が言いましたよ。それは人情道徳の面からいうと
そうですよ。
○司会 私の…………で、弁護士が登記事件を扱って、昔書類を持っていったことがあるというんだ。おれは弁護士だと、たばこを
吸いながら、昔は裁判所だから小さい窓口で出したらしい。
○富田 たばこは禁止だった、いけない。
○司会 たばこを吸いながらやっていたから、「なんだ、いったいたばこを吸いながら書類出すことは。恐れ多くも、前の上を見てみろ。

菊のご紋が付いているじゃないか。

なんと心得ている」と弁護士がやられたという話をうかがっているんだけれども、昔は菊のご紋を付けているというんで。あれは終戦後取

り払われたのかな。昔は役所に菊のご紋が付いていたというから。

○司会 …………天皇の名において…………じゃなかった。それだけ裁判所……なわけです。……に一致して…………裁判所……………
○富田 家庭裁判所に来ても…………から。……裁判所でフショウ事件をやった。相続放棄でも、親権者を定める申し立てでも、みんな
裁判所でやったんだから。………

…やりましたよ。
○司会 なんか司法代書人……………本に書いてあるんですけれど、…………………だから、何々殿というのは……………。当時の収入
なんか……見ると、司法代書人は悪かったと書いてある本もあるんだけれども、手数料。

○司会 昔は1枚いくらでしょう。
○富田 1枚いくらというのがずいぶん続いた。申請書の……手数料金いくらって書かなくちゃいけなかった。
○司会 確かに処置料いくらと書いてあります。
○富田 書かなくちゃいけない。その後、いまでもそうだと思うけれども、司法書士何のだれそれ受託番号何号、受託番号を書かない人が

多い。けど、私は必ず受託番号を書いた。
○司会 いまでも書くでしょう。
○富田 書かない人が多いんだよ。
○司会 いまも書いていない人がいるんだよ。
○富田 細則からいえば、書かなくちゃいけない。
○司会 ………………
○富田 番号でどれぐらいやっているか、たくさんやっているのを知られちゃいけないということかなんか知れないが、受託番号を書か
ないで、司法書士何のだれそれ、それじゃいけない。私はずっと書いています。そうしたら、久喜のチクさんが「富田先生は
よく受託番号を書いていますね」とほめてくれました。
○司会 それから、いまはどうだか知らないけれども、昔は例えば山田なら山田でもって、所有権移転、抵当権設定とか、賃借権仮登記
とか、4件ぐらい全部一つの番号でやっちゃうんだね。1、2、3、4ではなくて、それはちょっとおかしいね。
○富田 全部別件で付きますねよ。…………
○司会 もれちゃう場合はしようがないね。
○富田 もっとも………………
○司会 すぐ…………持っていったら、うっかりしていました。
○富田 意識して、…………なくて、事件簿に書かない人がいるみたいね。………………
○司会 だから、あれも問題になった。
○富田 だから、たまに事件簿を調べたほうがいいということで、調べたこともあったけどね。昔は、クサイハンショの時代には事件簿
を渡すときに、登記所でちゃんと契印を押して、枚数何枚、最後にペタンと。
○司会 昔は枚数で手数料をもらうからね。
○富田 事件番号をちゃんとごまかさないように。間違ったときには、……に欠番をやったんですね。かたかったですね。
○司会 捜査にも使ったから、昔の警察は。………………事件番号を調べて…………どういう事件があったとか、…………
○富田 うちの親父は固いというか、……というか、警察でしても事件の関係があるから…………秘密ですから、裁判所の許可がないと見

せられないです。……で…………固いというか、絶対に任意には見せなかったね。警察の監督を受けないって。

 それから、会のほうの関係ですけれども、私が会館の管理、運営をやったのが昭和……、委員長をやったのが昭和5年だったか
な、委員長を辞めたのが何年だったろうな。
○司会 ヒラノさんは辞めてもずっとやっていましたね。
○富田 あれは56年ぐらいまでだったかな………………もっと後までやったんだな。相談役になるまでやったんだから、相談役が60
から、管理人を10年ぐらいやったのかな。委員長は…………かな。どうもはっきりしない。
○司会 前は会館ができるまでは、石川さんのところが事務局という感じだったな。
○富田 石川さんと三角さん、さっき言った比留間さんの3人の共同事務所があって、そこで石川さんが会計兼事務をやっていたんだが、

イシカワさんがその会のほうのお客さんが来ると、自分の仕事をほおってやってくれて、自分の仕事は…………だね。あれは
イシカワさんは実に骨を折ってくれたね。せがれ

もよく会のことをやってくれて。
○司会 石川先生は裁判所あがりだった。
○富田 みんなああいう人は裁判所時代から……。石川さんは法務大臣の表彰、勲章をもらいました。浅子さん、平野さんももらってい
ますね。サイトウケンさんは司法書士会長と調査士会長をやったんだが、紫綬褒賞か黄綬褒賞をもらいましたね。まだ勲章は…
………らしいけれども、あの人なんか勲章ものだけどね。9394歳でしょう。彼女が浦和と大宮にいるんだって言っている
けれども、どこまでが本当か。
○司会 まだ奥さんは健在なんでしょう。
○富田 健在だけれども、奥さんがだんなを相手にしないみたいね。だけど、あの人は偉い人ですよ。とにかく司法書士会がいろいろ法
の改正によって………………会のほうじゃなくて、ちょっと古い話だが、サイトウケンさんが50万円寄付してならせたという
ことを聞いていますよ。本当の話です。
○司会 いつごろですか。
○富田 昭和37年7月23日に伊藤さんが亡くなったと言いましたね、その後ですね。
○司会 いまだって50万円出す人いないよ。だから、当時の50万円は大したものだ。
○富田 あの人はとにかく功労者ですよ。
○司会 うちのほうも司法書士になりたてのころは、手数料のほかに、……は田舎村だから米持ってきたり、ナス持ってくるんだね。先
生はそういう体験はあります。………持ってくるんだね、いろいろお世話になりました、ありがとうございます。  
○富田 いまでもたまに持ってくる人、ありますよ。
○司会 昔は多かったね、農家の方が来るのは。だから、ひどいときは米を買ったことがなかった、野菜とか。
○富田 配給米をもらうんでも、ヤミで少し買えば、お客さんが持ってきたのがずいぶん足しになりましたよ。私のところなんかも……や

っていたから、この前お世話になったというんで2升ぐらい持ってくるんです。そうしたら、2斗ぐらい持ってきた人もいたね。
ありがたいわけですよ。商売をやっていればこそ。
○司会 先生が昔司法書士をやっていたころ、例えば富田登記所とか、そういう呼びなで。
○富田 われわれのところは登記所だと思って来た人がずいぶんあったんです。登記官の…………の人だと、代書屋のところが登記所の
ように思っているやつがいるとか何とか言って…………がありましたよ。だから、登記所よりわれわれのほうを重く見た時代が
あった。
○司会 直接の窓口だから、…………権利証を渡すからね。当時は一般事件ってないでしょう。
○富田 ええ。不動産をやらなかったけれども、それをやる人が案内してきて、さっきも話が出たけれども、カイニンのほうに金を出さ
せて、先生の分まで………………たわけだ。

ああしたこともやっぱり人情で、それによってどうってことはないけれども、気持ちはもらって…………からね。それだけじゃないけ
れどもね。

○司会 そういう人が結構多かったね。

○富田 それも昔の時代相を表しておりますよ。いまでは別問題として。

○司会 先生は戦争に行かれたんですか。

○富田 これも一つの話ですが、昭和6年の徴兵検査で、昭和6年9月8日に満洲事変が起こったんだけれども、満洲事変が起こる前
だから、徴兵官が張り切っていて、私はこう言われた。「お前は学科の成績はすこぶるよろしい。みんな満点だ。しかし、体が
弱くて小さい。お前のような者は兵隊の役に立たん」・・はっきり言うんだから。「しかし、お前は役場に出ているから、銃後
のことを一生懸命やりなさい」と訓示された。本当の話。それでお前は役場に出ているから、銃後の務めを一生懸命やりなさい
、それが徴兵官の訓示でしたね。その徴兵官が幅が効くんだから。天皇の代理だから、徴兵官は……の代わりに決めているんだ
から、そういうこともありました。

○司会 じゃ、大東亜戦争時代は徴用もなかったわけで、先生はちゃんとお役所に勤めていたから。

○富田 そうです。徴用は公務員は終わりごろにはなかったですね。兵隊は現役もあれば、招集もあったんです。

○司会 それも先生は行かなくて済んだ。……

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